細身のいかにも不健康そうな肌色をした男がくつりと哂った。 その笑顔はまるで兄が弟を諭すように優しく少しの嘲笑を含んだ。 その男の腕の中に収まっている、シルクハットをかぶった大きな人形 ――おそらくヒトではないのだ――が同じようにくつくつと哂った。 少年はその人形に少々見覚えがあった気がしたが、それ以前に、少年――男の声。 どちらの言葉かはわからない。嘲笑が闇に葬られる音がした。少年は怯えて耳を塞いだ。

少年の世界の崩壊が始まった。

少年はひとり闇を漂っている。その右腕は肩からふつりと途切れたように消えていた。 この闇の中でははじめからなかった存在なのであるから今更少年はどうとも思っていない。 ついでに少年の左のひじから先もつい二十分ほど前に消えたばかりだ。 とはいっても少年に時間の感覚はないのだけれど。

消えた右腕、左足。それからその先にあるものを少年は漠然と知っていた。 薄い焦燥感が少年の体を駆ける。消えた手足が少年をほんの少し急かす。 ちなみに手足の断面などというグロテスクなものはどうやら闇の中では存在しないらしかった。 自分が人形になったような不可思議な感覚。 少年は気がついて、少し哂った。 ああぼくはべつに消えたってかまわない。こんなものはいらない。 ぱちんと少年の中でなにかが割れた。がりがりと誰かが記憶に爪を立てた。

「――しかし捨てるのなら、君も人形だ」

例の不健康そうな男が、少年の隣に佇んでいた。 死んだような色の無い目が少年を見つめた。 その腕の中には――ヒトの右腕と左足。 男がくつりと息を漏らした。

瞬間少年は肉体を失う。闇の中で薄れる自分の体―― 右の脚、左脚の残り、胴、左の腕、首―― を見てなお、少年は笑んだ。 消える少年の体の欠片すべてが、男の腕の中に集約されて―― 新しい少年を作る。途切れそうになる意識の中で少年は誰かの名を呼ぶ。 少年の視界の端でシルクハットのようなものが揺れた。 ああおわりだ。 僕も人形になる。

ぴきり。世界の崩壊する音が一斉に闇を満たした。



ガラガラがらがらがらがらがらがらがら、が。



「――」

少年は夢から醒めた。見慣れた天井に少々少年は落胆する。 時間は昼を過ぎる少し前だ。ああ――なにをしていたんだ。いいや―― そう、寝ていたのだ。少年は夢を忘れていた。 腹が減ったという意識が少年の脳を支配した。 のそりと彼はベッドから起き上がる。いつも着ている上着を引っ張り出して 肩にかける。もうすっかり冷える時期である。 少年の意識は完全に朝食――否、昼食へと向いていた。

今は夜が深くなる季節だ。少年の部屋の物置の奥深くに埋もれている シルクハットの古びた人形が、かすかに哂って目を閉ざしたことを、少年は未だ 知らないままである。


『そうして世界は崩壊をやめることなく』
(静かに破壊を、続けるのだ)
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